9月クラブ活動(TDC member writing)④
今回も、9月2日(金)にクラブ活動で新宿区立漱石山房記念館へ行ってきた時の様子をご紹介します。
散策の感想等、利用者さんに作成いただいております。
夏目漱石
私みたいな本読まない人でも、名前は知っている文豪である。
私みたいな本読まない人でも、本の名前は知っている文豪である。。
私みたいな本読まない人でも、知っているお洒落な人 、文豪である。
夏目漱石
漱石山房記念館に行って
9月2日午後に新宿区立漱石山房記念館に行ってきました。
外は弱いながらも朝から雨が降りしきる中、通所施設から歩いて10分もかからない所に記念館がありました。なぜこの場所に記念館があるのは、ここは漱石公園の中にあり、かつて夏目漱石が明治40(1907)年9月29日にこの地に「漱石山房」と呼ぶ住居兼執筆場があった場所で晩年まで過ごしており、ここから『三四郎』『門』『こころ』など名作の数々を世に送り出し、大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍の悪化により49歳で生涯を閉じた所でもあります。
周りは閑静な住宅街にがあり、近くにはレトロ感がある区立の幼稚園と小学校があります。記念館に面した道路は漱石山房通りと呼ばれ、早稲田通りと外苑東通りに接続しています。
中は、戦火から逃れた作品の原稿をはじめ、貴重な品々が展示されていました。また、漱石山房の書斎を再現した展示室もあり、漱石の作品創作の様子が思い浮かばれます。
私が気になったところは、なぜ「漱石」と呼ばれるようになったのかで、資料によると、本名は「夏目金之助」であり、第一高等中学校(東京大学予備門から改称)で出会った正岡子規と出会い、共通の趣味である寄席通いを通じて親交を深め、正岡子規の七艸集(ななくさしゅう)(明治22(1889)年)に評する時に初めて「漱石」の号を使用するようになった、というようです。さらにネットで調べてみると、漱石の名は正岡子規から譲り受けたとも言われています。漱石の名は漢詩「漱石枕流」(そうせきちんりゅう:「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」から『負け惜しみの強いこと。 ひどく無理矢理なこじつけのこと。』の意味(ウィクショナリー日本語版より))から来ているようです。文学の他、俳句を詠んだり絵画もたしなんでいたようで、多くの俳句や絵画作品も遺しています。
なかなか、著名な人物の収蔵品を見る機会は少なく、こういう機会はとても貴重な経験なので、天気は雨で残念ですが行ってみてとても良かったです。資料では、新宿区をはじめ23区内の都心を中心に作品の舞台になった所があり、漱石文学地図としてまとめられているので、何かの機会があればその地に行ってみたいと思います。
※資料として「新宿区立 漱石山房記念館」の冊子を参考にしました。
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