9月クラブ活動(TDC member writing)⑥

今回も、9月2日(金)にクラブ活動で新宿区立漱石山房記念館へ行ってきた時の様子をご紹介します。

散策の感想等、利用者さんに作成いただいております。

記念館に行くまでの様子や漱石の一生について紹介されています。

漱石記念館ブログ

2022年9月2日金曜日、クラブ活動の時間を使い事業所の近場にある漱石山房記念館に行ってきた。この日はあいにくの雨であったが記念館は室内のため雨天決行となった。13時30分、午後の業務開始とともに漱石山房記念館に徒歩で向かった。事業所の目の前の横断歩道を渡り大通りすぐのところにある脇道に入る。その脇道は大人1人がやっと通れるほどの幅しかない。さらに途中まで進むと階段となっていた。その横には自転車用のスロープもあったがそのスロープはかなりの角度である。

早稲田周辺は土地の高低差が激しい。早稲田駅を挟んで反対側に位置する穴八幡宮がいい例である。また早稲田周辺には急な坂道が多く存在する。都電荒川線早稲田駅から2駅進んだところに学習院下という電停がある。その電停の近くに「のぞき坂」と呼ばれる坂がある。都内屈指の急勾配の坂道として知られているこの坂道の勾配は22%である。この道を普通の自転車で登るのは一苦労だ。この坂で坂ダッシュをしたりこの坂を自転車や色々な車種の自動車やバイクなどで登る動画がYoutubeにアップロードされていたり電動アシスト自転車や4WD車などのCMの撮影地にもなっている坂なので知っている人は知っているだろう。

 話がそれてしまったので本題に戻る。狭い階段の道を上りきると車も通れる普通の道に出る。この道は漱石山房記念館へと続く道でその名も「漱石山房通り」である。道をしばらく進むと下り勾配になる。勾配を下りきり少し歩くと西洋風のお洒落な塀に囲まれた建物が見える。早稲田小学校である。校舎は一般的なものに近いが塀はとてもおしゃれであり、塀の部分だけを切り抜いて「この建物は?」というクイズを出題しても小学校であると答えられる人は少ないだろう。そんな早稲田小学校を右手に見ながらさらに通りを直進する。小学校を過ぎてしばらくすると白い外壁に外階段がきれいな豪邸が見えた。スマートフォンの地図アプリの航空写真の3D表示機能で確認したところ、4階建ての建物のようだ。外階段は小学校側についており、徐々に高度を上げていく。最初は2階建て、真ん中は3階建て、奥は4階建てのようだ。その建物を横目に少し歩くとお洒落な外観の建物が見える。それが漱石山房記念館だ。記念館のあたりから道は下り勾配になっている。坂道の途中に建物がある。建物自体は水平に作られているので建物の両端で道にはかなりの高低差が生まれている。

 漱石山房記念館に入ると夏目漱石と新宿区の関係についてを記した地図が展示されていた。館内は撮影禁止のものが多いがこれは撮影できた。また撮影ができてもSNSなどへの公開が禁止されているものもある。今回は写真は少なめになってしまうがそこは許していただきたい。

漱石の生い立ちからお亡くなりになるまでをまとめた年表が最初の展示物である。夏目漱石の一生を簡単にまとめた。

 

慶応3(1867) 0 1月5日江戸牛込馬場下横町(現在の喜久井町)で誕生、金之助と命名され、四谷の古道具屋に里子に出されるがすぐに戻される。
慶応4(1868) 1 四谷太宗寺門前の名手・塩原昌之助の養子になる。
明治7(1874) 7 浅草の戸田学校(現在の蔵前小学校)に入学。
明治9(1876) 9 養父母の離婚により塩原姓のまま夏目家に戻り市谷学校(現在の市谷小学校)に転校する。
明治11(1878) 11 神田の錦華学校(現在のお茶の水小学校)転校、その後卒業。
明治12(1879) 12 東京府第一中学(現在の日比谷高校)に入学する。
明治14(1881) 14 東京府第一中学を中退し、二松學舍に転校する。
明治17(1884) 17 大学予備門予科(後の第一高等中学校)に入学する。
明治21(1888) 21 夏目家に復籍。第一高等中学校本科英文科に進学する。
明治22(1889) 22 落語や俳句を通じて正岡子規と親交を深める。
明治23(1890) 23 帝国大学文化大学英文学科に入学する。
明治26(1893) 26 帝国大学大学院に進学する。
明治28(1895) 28 愛媛県尋常中学校の英語科教員として赴任。子規が帰郷し、漱石の下宿であった愚陀佛庵で52日間同居する。
明治29(1896) 29 熊本の第五高等学校に講師として赴任する。同年に鏡子と結婚する。
明治33(1900) 33 文部省から英語研究のため2年間のイギリス留学を命じられる。
明治35(1902) 35 強度の神経衰弱にかかる。正岡子規没。帰国の途につく。
明治36(1903) 36 帰国。本郷区駒込千駄木町に転居。東京帝国大学英文学科講師、第一高等学校英語科嘱託となる。
明治37(1904) 37 高浜虚子主宰の「山会」で自作の「猫伝」を朗読。
明治38(1905) 38 「吾輩は猫である」を「ホトトギス」に発表。
明治39(1906) 39 「坊ちゃん」「草枕」「二百十日」などを発表。面会日を木曜の午後3時以降と定める(木曜会)。本郷区駒込西片町に転居。
明治40(1907) 40 東京抵抗大学と第一高等学校の職を辞し、朝日新聞社に入社。「蘆美人草」を連載。9月29日、牛込区早稲田南町7番地に転居。この頃より胃病に苦しむ。
明治41(1908) 41 「坑夫」「文鳥」「夢十夜」「三四郎」を連載。
明治42(1909) 42 「永日小品」「それから」を連載。友人・中村是公の招きで満洲・朝鮮を旅行する。
明治43(1910) 43 「門」を連載。胃潰瘍のため入院、転地療養のため訪れた伊豆修善寺で大量吐血し、一時危篤状態に(修善寺の大患)
明治44(1911) 44 文学博士号を辞退。五女・雛子が急死。
明治45・

大正元(1912)

45 「彼岸過迄」「行人」を連載。
大正3(1914) 47 「心 先生の遺書」(後のこころ)連載。胃潰瘍のため療養する。
大正4(1915) 48 「硝子戸の中」「道草」を連載。
大正5(1916) 49 「明暗」を連載(未完)。胃潰瘍が悪化、12月9日死去。雑司ヶ谷墓地に埋葬される。

長くなってしまったがこれが漱石の一生である。次の展示は漱石山房を再現した部屋であった。写真撮影可能であったが写真をSNSに上げたり公開目的で使うことを禁止していたため写真の掲載は出来ない。部屋の中には本がいっぱいあった。真ん中には火鉢と数本の筆、さらに象牙製のペーパーカッターがあった。ペルシャ絨毯や象牙製のペーパーカッターなどの高級品が使われているのには正直驚いた。

漱石山房とは、夏目漱石が亡くなるまで9年間にわたり暮らしていた家である。和洋折衷の平屋建てのこの家の庭には大きな芭蕉の木が生えていた。また外を囲うようにベランダ式回廊があったという。そのうちの一室が館内に再現されていた。夏目漱石はそこで創作活動や執筆活動に勤しんでいたという。かの有名な「こころ」や」「道草」などはこの山房で創作された作品である。太平洋戦争による空襲が激化した昭和20年5月25日、空襲により焼失してしまう。がその後再現展示ではあるが再建した。

 夏目漱石は動物好きなことでも有名である。猫を飼っていたことは有名であるがその他にも文鳥などを飼っていたという。そして猫や文鳥は亡くなった後、石積みの墓に埋葬された。初代の石積みの墓は五重の塔のような立派なものであったが関東大震災や太平洋戦争などで崩れてしまい、残された石材を使い再建された。その墓は平たい石材が幾重にも積み重なっており、触ったら崩れてしまうのではないかと思う見た目である。しかし再建から今までずっと遺っていることを考えると強度は十分にあるのかもしれない。

 最後に、僕が一番好きな夏目漱石の作品の一部を取り上げる。「マッチ箱のような小さな汽車である。乗ってすぐに降りるので運賃も安い。」これは坊ちゃんの一部に登場する伊予鉄道を説明する一文である。坊ちゃんが書かれた当時の伊予鉄道を再現した坊ちゃん列車という列車が伊予鉄道で走っている。書かれた当時は蒸気機関車であったが坊ちゃん列車は蒸気機関車の形をしたディーゼル機関車である。後ろにはかわいい客車が2両連結されている。一度乗ったことがあるがその時の折り返しの様子が面白かった。終点駅に着いた坊ちゃん列車は機関車を切り離しまず渡り線に転線する。渡り線中央で停止した機関車は渡り線内に設けられた小さな転車台に乗る。機関車ギリギリサイズの転車台が手動で回されると機関車は回転し、進行方向が逆向きになる。そして一度客車に前後逆向きに連結されると渡線にもう一度転線、反対側のホームに据え付ける。そして機関車を切り離し、もう一度渡り線を通り一度反対側ホームに行き先、ホーム端にある別の渡り線で転線し、客車前側に連結し、折り返し作業が完了する。ここまでの所要時間は8分ほどであった。少し話がそれてしまったが漱石山房記念館の見学はこれにて完了、その後帰路に就いた。

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ご来訪者の皆様をお迎えしております。

ご来訪時には、マスクの着用及び手洗い・うがい・手指アルコール消毒を
お願いすると存じますが、ご理解のほど何卒宜しくお願い申し上げます。

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