9月クラブ活動(TDC member writing)③
今回も、9月2日(金)にクラブ活動で新宿区立漱石山房記念館へ行ってきた時の様子をご紹介します。
散策の感想等、利用者さんに作成いただいております。
漱石山房記念館では、夏目漱石について色々と知ることが出来るようです。
文章を書く人間としての矜持—-漱石山房記念館を訪れて
今回、東京デジタルキャリアのクラブ企画で、TDCのすぐそばにある「漱石山房記念館」というミュージアムを訪問しした。かつては千円札の肖像としてもお馴染みであった夏目漱石ですが、恥ずかしながら筆者は、「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」などを書いた文豪であること、愛媛県の松山で教員をやっていたこと、くらいしか知識がなかった。今回の訪問では1階の無料のエキシビジョン展示だけでも、晩年はここ早稲田の地に暮らしていたことや、生い立ち、松山や熊本で教員をしていた頃の具体的なエピソード、ロンドンに留学したが体調を崩してうまくいかなかった話、帝国大学の教員をしたことなど、幅広く知ることができた。
1階の展示を見る限りは、「生い立ちは育ちもよく、度重なる苦労もあったけれど、比較的裕福で、恵まれた待遇で文章を書いていた」という印象だった。その中で、2階の有料展示を見ると、実際の漱石の作品のあらすじのさわりを知ることができるものが多くあった。そこから見る漱石の文章は、どこか「自分の経験がベース」だけれど「他人の人生について」を描写したものが多いような印象を受けた。実際、「東京のエリートの教員」が「現地で苦労したこと」や「現地で触れた見聞」を文章にしたためているのではないか、と思った。
そんな漱石の境遇は、なんとなく筆者の経験とも重なるところがあり、いろいろと考えさせられるものがあった。というのも、筆者は趣味で小説を書くことがあり、文章を書くことの矜持、ということを稀に考えることがあるのだ。貧富の格差も大きく、恵まれていない境遇の人間が書いた「プロレタリア文学」の作家も存在した当時において、新聞記者に東大の教授と、恵まれつくした境遇で文章を書いていたまさに売れっ子の漱石はどんな気持ちで文章を書いていたのか、それをまさに示す引用文が2階に展示されていた。
「僕は(中略)一面において死ぬか生きるか、命のやり取りをするような維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい」 –夏目漱石 明治39年10月26日
この引用文を見て、漱石の物書きとしての覚悟を感じた。どこか「他人事を自分ごとに落とし込んで書く」作風とか、「一見恵まれてるけど苦労もしている、それが理解されていない」彼の境遇とか、そんなものが、趣味で10冊の同人誌を売るのが精一杯の文章書きである筆者と、おこがましくも重なる部分があっただけに、筆者はそこまでの、「維新の志士」と言うまでの覚悟を持って自分の文章と向き合っていないな、と、クリエィティブなことをしている身として恥ずかしくなった。
今回の訪問で、大きなことを成す人間は、それなりの矜持を持っている、ということがわかった。夏目漱石の場合だと、それが「維新の志士の如き烈しい精神」で文学と向き合うことだ。将来文章で食べていきたい自分に足りないものはなんだろう。ひとまず、「自分に似ている」と思った漱石の作品をしっかり読むことではないだろうか。
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